今、藤平光一(とうへいこういち)の「氣の威力 」を読んでいます。
何気なく「合気道」って使ってたけど、それは間違いで、「合氣道」という風に書かないといけない事を知りました。
単純に略してるだけかと思ってたら、そうじゃなかったんですね。
藤平光一が言うには、中国思想では「氣」だと一方に出れば他方が少なくなると考えて、できるだけ氣を自分の方に引っ張って出口を締めておいた方がいいという事から「〆る」の意味のある「気」を使うそうで、その考え方に影響を受けたとありました。
でも藤平さん的には、「氣」はためるものではない。氣は出すから入ってくる。
氣と人間が交流する事を「息」と言って、息が一時的に途絶えれば氣絶、永久ならば死ぬ。氣と人間の氣の交流が止まったときが死なのだから、人間は生きている間は、いつも氣を出していなければならないって。
氣を出すから新しい氣が入ってくる。そう考えると「気」を用いるのはおかしいことになると言ってました。
ネットでは陰謀論的解釈の話も出回っているようですが。
敗戦によって武道禁止令が出たように、カミカゼ特攻隊のような精神面の強さを保たれて仕返しされるのは困ると、日本人の精神面を弱体化させるために、わざと「気」という漢字を使わせて潜在意識的に精神面を弱体化させたとか。
昔、影響力の武器―なぜ、人は動かされるのか を読んだけど、捕虜を使った手紙の実験のところを読んで、その内容からするとあながち間違ってはないかもとは思うけど。
それだけ文章にアウトプットする事で作用するマインドコントロールの威力って凄いから。自己啓発の世界は外せないテクニックなわけだし。
まだ全部読み終わってないけれど「氣の威力」面白い本です。