先輩と塩田剛三の話をしていて、自分の持ってる塩田剛三の本と、かしっこをすることになり、私はこの「塩田剛三の世界」と「合気道養神館公式技術書 合気道養神館精解技法体系 入門から黒帯への道標」の2冊を貸してもらいました。
借りる時「本書について(p8)」にさっと目を通したら、合気道修業を第2章~第5章に載せたみたいな文章があったから、私の持ってる「修行」のほかに「修業」という本まで出してたのかぁ…と素直に思って、まだ読んだことない内容満載なんだろうなぁと思いながら
帰ってからこの「塩田剛三の世界」を読んでみたら、私の貸した「合気道修行 対すれば相和す」と内容がほぼ同じものでした。
「修行」と「修業」の意味の違いについては、そのときはまだ人様に説明できるレベルで明確には理解できてなかったけれど、わざわざ表紙に大きなデザインで「修行」と書いてあるくらいだから、シリーズ化されてて「修業」という他の本が存在すると勝手に思い込んでたわけなのです。
そんなこともあり、気になって調べてみたら、どうやら編集者が意図的に用語の慣例に従って訂正してくれるようなことがあるというのを佐藤俊明先生という方のコラムで見つけました。
文章を書くとき、私は必ず「修行」とかいているのだが、漢字になったものをみると「修業」にあらためられていることが一度や二度ではない。
編集者が用語の慣例に従って親切に訂正してくれるのだろうが、実は有難迷惑なことである。
なぜなら「修行」と「修業」では肝心の意味が違うからである。
「修業」とは一定の業を修めることで、基準に達すれば「卒業」となり資格がつくのだが、「修行」には「卒行」がない。終わりのない行を修めるのが修行である。
終わりのない行とはなにか。
それは仏祖の践み行われた大道のことであり、それを修め護持するのが修行である。
換言すれば「修業」とは自分のため、自分の利益のために業を習いおさめるもの。「修行」はなにも求めず、利害損失を離れて、昔の悟りを開いた人々の道と行ずることである。
つまり、「修業」は業を修めることで「修行」は鍛錬のことですよね。本当に意味が全然違いますよね。
ましてや合気道なんて精神世界のジャンルに通じてるものだから、ここは間違ってはいけないところでは?と思ったのですが、(私みたいに2冊存在すると思う人もいるし)
でも本当に、親切心で修行を修業に訂正したとも考えられるのですが、それにしたって本の題名ですからね、別の本に題名を訂正して載せるっていう行為を意図的にするのは考えられないなぁと。。。
それに、木村政彦の漢字を木村雅彦って書いてある場所(p69)があったりとかまで発見してしまうと、なんかやっぱり慌てて仕上げた本で見落としたのかな…と思ってしまいました。
私も頻繁に誤字脱字はやらかすので人の事言えないんですけどねw
(この前タイトル箇所に養神館を養身館って書いてたしwwでも近所に養身館ていう中国マッサージ屋はあります。笑)
でも、一般書籍は校正・修正するわけで、出版までにすごく多くの文章のプロが目を通すのだから本が間違うワケないと私も信じてしまったんですよね。
それにしても武道などには精通してない人が校正・修正したのでしょうか?
だって、でなければ木村政彦が木村雅彦になってたら違和感を感じるはずでしょう?w
だけど今回この誤字?のおかげで「修行」と「修業」の違いについて明確に知れたのは収穫になりました♪
まぁ、そんなことより感想としては、これから読みたい人が修行の方とどちらを選ぼうか迷ったら
私は迷わずこの借りた本の方をおススメしたいと思いました。
なぜなら、第2章から最後の第5章まで修行の本に書いてあるものだし
そこにおまけという感じで第1章の「合気道の基本」と「あとがき」があるから。
ちなみに第1章は「合気道人生」から、あとがきは塩田剛三の後を継いだ息子さん、塩田泰久館長著作の「呼吸力で人生に勝つ」より編集したものとのことです。
だから、とってもお得感があると思います♪
備忘録メモ
合気道の基本7つ
①素直な心
②動中に静を持す
③対すれば相和す
④体の重心
⑤タイミング
⑥呼吸力と集中力
⑦円運動